MARC CHAGALL
マルク・シャガール

Le Cirque (Mourlot 511)
1887年帝政ロシア・ヴィテブスク(現在のベラルーシ)生まれ。1985年没。1910年パリへ移りキュビスムの影響が見られる作品を制作、五年の滞在を経てロシアへ戻り、ロシア・アヴァンギャルドの活動に共鳴する。ロシア時代のシャガールは芸術委員を務め、地域のアーティストを先導する指導者的な存在としても際立った活動をした。ロシア・アヴァンギャルドの重要ムーブメントであるシュプレマティスムを主導したマレーヴィチらと共に無償で人民に開かれた芸術学校と「現代」美術館の設立に奔走した。1918年にはプロジェクトは実現し、当時の最先端のロシア現代美術を総覧する美術館としてのヴィテブスク現代美術館の開館を成し遂げる。その後、1922年には再びパリへ、第二次大戦下、ナチスの迫害を逃れるためにアメリカへ亡命。戦後パリへ三度戻り、帰化する。若くして名声を得ていたシャガールではあるが、その後の画家としての評価は晩年まで揺るがず、生前既に自身の名を冠する国立美術館がニースに開館している。ノートルダム大聖堂の青いステンドグラスや、パリを代表する最も歴史あるオペラ座であるガルニエ宮の天井を飾るのもシャガールである。シャガール・ブルーとまで呼ばれ愛される独特の光を讃える澄んだ青の表現は他の追従を許さないものがある。アメリカ時代に病で死別した最初の妻ベラ(1985年~1944年)を深く愛し、妻の死後も彼女に捧ぐ数々の作品によって、愛の画家とも呼称される。